13.特集:歴史とネット社会

コンピュータの歴史 第1章 ~人類の計算機~

金曜日, 9月 2nd, 2011

コンピュータ企業に従事するものとして、コンピュータの歴史を回想することは、大変重要なことです。ましてや、歴史そのものに大変興味がある筆者としても、やはり、現在の仕事にお世話になっている一人として、いつかはコンピュータの歴史を回想してみたいと思っていました。いよいよその時が突然やってきました。で、どこから書き始めるか?迷いましたが、あまり深く考えず、インターネット上のWikipedia等々のホームページを参考に、筆者の思いを挿入しながら、回想してみたいと思います。回想している間に、何か、発見できることなどありましたら、そのことも、その都度、記していきたいと思いますので、気楽に読んでいただきたいと思います。では、よろしくお願いします。

尚、文章中、誤字落字等やお気づきに点等ありましたら、筆者メールアドレス(awada@gifu-city.net宛)ご指摘いただけると幸いです。

コンピュータ(computer)と言う単語は、何時ごろから言われるようになったか?と言うと、1897年に機械的な計算装置と言う意味で、computerと言われるようになったと思われます。つまり、人間が、ある数字や計算式を打ち込んだ後に、人手を介さずに、計算結果をはじき出す計算機のことをコンピュータと言うようになったようだ。つまり20世紀が始まりそうな時から、コンピュータと言われるようになったので、20世紀は、まさにコンピュータの時代と言えるのです。この頃の時代背景は、日本では明治30年ころですので、日本が、日清・日露戦争に勝利して、隣国アジア圏に、侵攻していこうとしている頃です。欧米では、アテネで第1回のオリンピックが1896年に開催された頃にあたると言ったほうが、よくわかるかも知れません。また、筆者には、関係ありませんが、1897年には、京都大学が創立された年でもあります。

さて、1897年を境に、コンピュータと言われるようになりましたが、それよりずーと前にさかのぼって、人類の計算機について回想してみたいと思います。

1.人類最初?の計算器(そろばん)について

紀元前3000年頃に、古代バビロニアで、数字が誕生し、十進法が誕生します。(右図は、古代バビロニアの楔形文字)その後、紀元前2000年頃に、古代バビロニアで、手動式の計算器である、いわゆるそろばんが、発明されたそうです。そろばんの起源は、諸説がいろいろあるようで、ここでは、古代バビロニア説でご紹介したいとおもいます。古代バビロニアは、メソポタミア(現在のイラク)の南部で、発達した地域です。当時は、砂を使って計算する方式で、そろばんの原型があったとされています。日本にある、そろばんは、中国からやってきたようです。竹を使ったそろばんは、今でも、役にたっています。その証拠に、小学生がよく通う「そろばん学校」が、現在でも、筆者の近所にもあります。
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特集:歴史とネット社会 ~私とメインフレーム時代

火曜日, 8月 10th, 2010

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  私が、コンピュータと最初に出会ったのは、1971年頃、大学時代のコンピュータの授業で、実習があった時でした。右の写真は、当時大学の授業で使っていたHITAC 8800というメインフレーム(汎用大型コンピュータ)で、国産では当時の最高,世界でもトップレベルの性能を持っており、学会、官界、業界あげての支援、協力と関係者の総力を傾注し、6年の歳月をかけて1972年8月に完成した。(1)国産初の32ビット仮想アドレス方式(2)主記憶共有マルチプロセッサとバッファ記憶方式(3)1個でIC 10個分の働きをするLSI(4)高密度実装技術(5)パイプライン制御方式 等の技術成果を活かし、性能を改良して商用化を図ったのがHITAC 8800である。HITAC 8800は、大学の大型計算センターや国立研究所などで各種の科学技術計算に用いられた。

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   パンチカード(左図)と呼ばれるコンピュータプログラムを組むのに必要なカードに、穴を開けて、それをコンピュータに読み込ませてプログラミングするという手順でした。今思うと、本当に骨の折れる作業過程でした。プログラミング言語は、FORTRANでした。この頃は、今日のように、個人でコンピュータを所有すると言うことは、夢の夢でした。また、大型コンピュータは、場所も、経費も、膨大に掛かるので、そうしたことを思うこともありませんでした。


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特集:歴史とネット社会 ~第3の波がやってきた!

金曜日, 8月 29th, 2008

今回、岐阜シティネットワークでは、以下の特集ページを企画いたしました。

特集:情報通信の進歩

image このページは、現代の高度情報通信時代が、どのような経過をたどってきたのか?また、今後、どのように進化していくのか?等についての模索を含め、語ってきたいと思います。岐阜シティネットワークの社員が、独自の考えも織り込みながら、独断と偏見も交え掲載してきますので、あしからずご了解いただきますよう、お願いします。

間違った表現があった場合には、調査後訂正することもありますので、よろしくお願いします。

また、このページは、概論と、①情報通信機器であるパソコンと、②情報通信インフラのインターネットについて、その歴史も含め表現していきたいと思います。

このページを閲覧しておられる方の少しでも参考になればと思いますので、よろしくお願いします。また、このページは、不定期で更新していく予定です。時々、覗いていただければ幸いです。(記述:岐阜シティネットワーク社員)

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それでは、まず概論から始めたいと思います。

第3の波がやってきた!

私(岐阜シティネットワーク社員)が、情報通信に興味をもった最初のきっかけは、有名なアメリカの評論家、作家、未来学者のアルビン・トフラー著の「第3の波」と言う本です。以下は、フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』の記述です。

image トフラーは、著書『第三の波』の中で、「波」の概念に基づいて三種類の社会を描いた。そして、それぞれの波は古い社会と文化を脇へと押しやる、とした。

  • 第一の波は農業革命の後の社会であり、それ以前の狩猟採集社会の文化を置換した。
  • 第二の波は産業革命であり、社会の主な構成要素は、核家族、工場型の教育システム、企業である。トフラーは次のように書いている。「第二の波の社会は産業社会であり、大量生産、大量流通、大量教育、マスメディア、大量のレクリエーション、大衆娯楽、大量破壊兵器などに基づくものである。それらを標準化と中央集権、集中化、同期化などで結合し、官僚制と呼ばれる組織のスタイルで仕上げをする」
  • 第三の波は脱産業社会である。トフラーは1950年代末にはこれを言いはじめ、多くの国が第二の波から第三の波に乗り換えつつあるとした。彼は、それを説明する造語をたくさん作り、他の人々が発明した情報化時代のような造語にも言及した。

image と、アルビン・トフラーは、語っています。未来学者らしく、未来を予測して、今まさにわれわれは、トフラーの言う「情報化時代」の真っ只中にいます。

人々は、人類が開発してきた情報機器の代表格である情報端末「パソコン」と地球上に広がる膨大な数の「パソコン」を、インターネットと言う情報通信インフラを使い、主に電話回線や、光ファイバー通信網等を通じて、情報をやり取りする社会(つまり「情報化時代」)がやってきたのです。

私は、朝起きたら、まずパソコンの前に座り、インターネットで、新聞を読みます。もちろん、紙媒体の昔からの新聞もひろげて朝食時に読んでいます。でも、近い将来、新聞は、i-phoneで読んでいるかもしれません。その後、パソコンのホームページで、お客様と営業活動の開始。その際、メールは、直接担当者のもとに伝達する営業手段として種々な仕事に役立ています。ちょっと昔でしたら、このような朝のビジネスライフはなかったと言えます。そのくらい、現在は、パソコンと情報端末が日常業務の中で欠かせません。

その後、私は、外交で市役所に行くことが多いの、この日も、市役所の担当者と仕事の打ち合わせに行きました。そこでは、市役所の職員全員、ノートブックパソコンに向かって書類の作成等の業務をされておられます。で、担当者との打ち合わせ後は、メールでやり取りし、ホームページも活用します。ですから、外出後も、情報化時代と言えます。

その日の打ち合わせを終えて、帰社した私は、パソコンの前に座り、すぐ今日の仕事のまとめをパソコンに打ち込みます。メールのチェックや、予定表のチェック、ホームページの確認作業など、日常化しています。パソコンなしでは、考えられないビジネスライフの毎日です。皆さんも、同様では、ないか?と想像します。

アルビン・トフラーが1950年ごろ、50年後の私たちの今の社会を、予測していたなんぞ、すごいことです。驚きですね。


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